6/22 / 銀杏BOYZ「世界平和祈願ツアー2016」初日Zepp DiverCity公演レポート

銀杏BOYZの8年半ぶりに開催された全国ワンマンツアー「世界平和祈願ツアー2016」の初日、東京Zepp DiverCity公演へ行ってきました。19:00過ぎに開演、アンコールを含む終演は21:30過ぎ、2時間半に及ぶライブでした。

以下、ツアー内容のネタバレを含む内容となります。この点を把握された方のみ読み進めていただきますようお願いします。

 

citizenpool.hateblo.jp

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19:00過ぎ、会場が暗転。ステージ奥の白い引割幕が両サイドから閉じられる。ステージへ向かう峯田の姿が白い引割幕をスクリーンに映し出される。ステージに峯田が登場。大きな歓声が沸く。スクリーンに映し出される映像がステージ正面から撮影されたものに切り替わる。本公演では峯田のソロ弾き語りの曲、また曲のイントロ・前半部分が弾き語りの曲は、ビデオカメラの映像出力を用いたリアルタイムのライブ映像上映が行われた。

1曲目「人間」(弾き語りのみ)。本公演でのライブ映像上映は(恐らく)3カメ体制で行われた(ステージと客席の間部分、客席フロアの中央部、客席フロアの後方部=PAブース、の3つ)。特徴的だったこととして、いずれも多くが寄りの画であり、引きの画はほとんど無かったということが挙げられる。峯田の目元アップ、演奏されるアコギのサウンドホール部のアップ、歌の部分での口元とマイクのアップ(目元さえカットされていた)などだ。本公演のライブ映像上映において、映像として音楽を映し出そう、という意思を感じた。歌に込めた思いを訴える瞳、アコースティックギターの指の弾きによる弦の震え、そして唇とマイクの距離感、すべてがスクリーン一杯に映し出された。

「僕たちとあなた達の、友達にも恋人にも家族にも言えない秘密の、その後ろめたいすべての罪を肯定したいと思います。」2曲目「生きたい」。峯田の弾き語りの中サポートメンバーがステージへ上がる。ギター:山本幹宗(ex-The Cigavettes)、ベース&コーラス:藤原寛(AL)、ドラムス:後藤大樹(AL)。

3曲目「若者たち」。曲のイントロでスクリーンの映像が消え、白い引割幕が開く。川島小鳥氏撮影による本ツアーのイメージ写真が大きく広がる。モッシュピットの圧縮が強くなり、後方から何人もダイバーが転がってくる。峯田もギターを抱えたまま客席へダイブ。峯田の歌声がスピーカーから聴こえなくなっても、歌は客席全体から大きく立ち上る。

「チン君がいなくなって、あびちゃんもいなくなって、村井くんまでいなくなって、1人でもう銀杏BOYZは出来ないんじゃないかって思ってしまったこともあったけど、そんなことは無かった。ステージに向かうとお客さんから飛んでくる怒号と罵声、何度夢に見たことか。フェスとかじゃなくて銀杏BOYZのために足を運んでくれた皆さんに感謝します、ありがとう」

「まだ見ぬ明日に」に続き、「大人全滅」を終えると峯田はベース藤原の元へ向かい、強くハイタッチ。そのまま指と指とを絡ませた。どちらもGOING STEADYの曲が元になった曲であるが、あの頃のように歌えないという思いに対して、今こうして歌いたいという思いが大きく上回った、その結果がステージの上で果たされた瞬間だった。

サポートメンバー3人はステージを降り、再び白い引割幕が閉じられる。5年前に故郷の山形へ帰省した際、高校時代の旧友との再会のエピソードが語られた。「17才(南沙織カバー)」、「ピンクローター」が演奏された。

ステージ下手からマネージャーが持ってきた椅子にアコギを抱えたままの峯田が腰掛ける。「16年前に作った曲を久しぶりに今日歌いたいと思います、佳代という曲です」「GOING STEADYでこの曲が入ったアルバムを発売したときに佳代ちゃんにもう歌わないでくれって言われて、そりゃそうだよね、こっちが勝手に思い出を美化してるだけなんだから、当の本人は堪ったもんじゃないと思うよ」「2年前に佳代ちゃんから久しぶりにメールが来て『あの頃は言えなかったけど、ありがとう』って。時の流れが解決してくれた、って思ったよ」

「佳代」の演奏を終えた後、「もう会えなくなってしまった人に、きっといつかまた会える、そう思って、そう信じて、ずっと歌を歌っていきたいと思います。」と峯田は語った。

「べろちゅー」。峯田の弾き語りの演奏が始まるとサポートメンバー3人は再びステージへ登壇する。ギター山本のイントロ、ギターアンプは鳴るものの、返しとメインスピーカーからギターの音が鳴らないトラブルが発生した。暫しの対応の後、山本は今すぐにどうぞと合図を峯田に送る。峯田は「大丈夫、1回ギターの音を出してみて」と確認を促す。山本はイントロ、ギターのコードを鳴らす。峯田は深く頷き、曲の頭から改めて「べろちゅー」が演奏された。

引割幕が開き、安藤裕子への提供曲「骨」のセルフカバーが演奏される。笑顔でギターを弾く山本の姿が印象的だった。今日のライブで披露された曲は大袈裟に言えば、峯田和伸の音楽生活20年のオールタイム・ベストというべき内容だった。サポートメンバーには原曲とそれらに施されるアレンジが命題として突きつけられる。そのプレッシャーは計り知れないものであると感じる。そうしたプレッシャーからの一時の解放が「骨」の自由な演奏から感じられた。

続いて「夢で逢えたら」、「あいどんわなだい」、「BABY BABY」が演奏される。客席フロアは狂騒と熱狂の盛り上がりに包まれる。ギターを置き、タンバリンを片手に歌った「漂流教室」。ベースの藤原はサポートメンバーで唯一コーラスも担当するが、この曲での彼のベースプレイはまさに歌うようにベースを鳴らす見事な指捌きだった。

「僕が歌を歌っているんじゃなくて、歌が僕を歌ってくれている、そう思います。この曲があなたにとって、あなたの隣に寄り添ってくれる、友達のような曲でありますように」と「東京」が演奏される。

再び引割幕が閉じ、弾き語りでの「新訳 銀河鉄道の夜」。

そして「光」。開演から2時間近く経った会場のモッシュピット、その雰囲気は極限の状態に達していた。辺りを見回しても虚ろな表情を浮かべる客も少なくなかった。しかし、ステージの上にいる峯田は音楽に突き動かされるように、歌う。そして再びステージへ戻ってきたサポートメンバー3人の、今日一番の迫真の演奏が繰り広げられる。峯田はサポートメンバーの演奏に心の底から嬉しそうな表情で歌う。ステージが光で満たされた圧倒的な瞬間だった。

「これから全国ツアーを回って、このメンバーで新曲を作って、8月に東京・中野でライブをします。またライブ会場で会いましょう」と「ボーイズ・オン・ザ・ラン」が演奏される。そして「僕たちは世界を変えることができない」を演奏し、ライブ本編が終了した。

アンコール。「照明さん、ステージの照明をオレンジ色の夕焼けにしてください」と告げ、「ぽあだむ」が演奏される。ぽあだむを終えると、山本と後藤はステージから捌ける。峯田と藤原の2人で「愛してるってゆってよね」が歌われる。「銀杏ボーイズ!」のコール&レスポンスが繰り広げられた。

終演後、峯田がステージから捌けるのを待たずに客出しのBGMが流れ出し、ライブは終演した。小沢健二「ある光」。

 

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6/1 恵比寿

古舘伊知郎シークレットライブ 微妙な果実~トーキングフルーツ」へ行ってきました。

恵比寿駅からガーデンプレイスへ続く長い動く歩道を抜けた所を左へ曲がり、その少し先にある恵比寿act*squareへ。会場はスーツを身に纏った業界関係者と思わしき人と普通の一般の人と、半々ぐらいだったのだろうか。300人も入れないくらい規模は小さく、普段は椅子を客席として並べず、レセプションパーティーなどが行われていそうな格式ある空間に会場として設営されていた。

以下、自身の記憶に基づくレポートになります。

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19:10、会場が暗転し、前方上方のスクリーン上に報道キャスター・古舘伊知郎の姿が映し出される。2016年3月31日、報道ステーションを降板となった放送回、最後のコメントが上映された。

上映終了後、古舘氏がステージへ登壇、観客は拍手で迎え入れる。
報道ステーションの最後のコメント、7分33秒。素晴らしいね、我ながら惚れ惚れする。だけど注意深く見てもらった方は気付いたかもしれない。コメントの中盤、口の周りを舌なめずりしてたんだ、深層心理ってのは正直なもんだね、

今日のトークライブは元々は、報道ステーションを辞めた古舘がまだまだしゃべり手として活躍したい思いをラジオやテレビの関係者の方に見ていただく場を設けようと、関係者向けのシークレットライブとして開催が進められていたんだけれども、お客さまがあってこそのトークライブだろうということになったんだ、新聞にはこう打ち出された「古舘伊知郎、シークレットライブ開催決定!」シークレットでも何でもないじゃないか、

雑誌を読んでいて、巻末の方にフィリピンのデトックス施設があるっていうんで、そこへ行ったんだ、3週間。本当は最長で2週間のコースだったんだけれど、無理言って3週間にしてもらった。どうしてか3週間海外に行きたかったんだ、よくよく考えてみたらニュースステーション久米宏さん、毎年3週間のバカンスを取っていたんだ、

最後にプライベートで海外へ行ったのは2007年、9月のことだった。シンガポールのリゾートへ行ったんだが、ホテルに戻ってふとテレビを付けてしまったんだ、NHKシンガポール。「安倍政権、倒れる!」おいおい倒れちゃったよ。ふとケータイの着信が鳴る、番組のプロデューサーからだ。「古舘さん、安倍政権倒れちゃいましたよ、で、日本に戻ってきます?まだシンガポールにいます?」二択で聞いてきやがったよこの野郎、人を試しやがって

何もフィリピンへ行くのは今回が初めてじゃないんだ、まだ局アナだった頃、かつての水曜スペシャルという番組で「空前!第一回首狩り族対抗鉄人マラソン大会」という企画があって、俺はその実況でフィリピンまで行ったんだ、現地へ行くと原住民の人がもてなしてくれて、大きな穴があったもんで、覗いてみたら黒豚が何匹もブヒブヒ言ってるんだ、その穴に首狩り族が4人位向かって行ってブリブリブリとウンコをするんだ、その後に穴の中の豚の首を掻っ切って、料理を振る舞ってくれたんだけれども、三日三晩下痢は止まらなかったね、

(話を現代に戻して)
フィリピンのデトックス施設は、街中から離れた場所にある。空港から1時間も車に揺られると、広がる景色はまさに原風景。道路沿いの小屋みたいな商店の軒先、ぶら下がるのはラムネ菓子と犬の形をしたグミ。ふと前方に目をやると車と車の間を子どもがいとも容易くするするとすり抜けていく。

到着したデトックス施設、名前は「THE FARM」。デトックスと言えば断食のイメージが強いけれども、この施設では徹底したヴィーガン料理が振る舞われる。朝のコース料理と夜のスープ、極めつけは10時、13時、15時のフルーツジュース。すべてが施設内の農場で育てられたものだ。バナナ、パパイヤ、マンゴー、スターフルーツ。ありとあらゆるフルーツが施設内に原生している。振る舞われるフルーツはすべて昔ながらの酸っぱいものだ。(=微妙な果実)

1日目のデトックスデトックスとは云うものの要は浣腸だ。診察室へ入ると、リクライニングの背もたれが付いた便器が備え付けられている。診察用の衣服を渡され、着替えた姿はまるでてるてる坊主、ポンチョの様子であったがそれは正面のみ。背面はまさに新妻裸エプロンそのものであった、

便座に腰掛けると、てるてる坊主の下から看護婦が手袋越しに肛門へ指を突っ込んでくる、ズブズブズブッ、「ナイス!」何がナイスだ馬鹿野郎、

浣腸を終え、快い気持ちでコテージに戻った後はベッドに横になって長いこと積ん読されていた本を読んでいく、特に素晴らしいと思ったのは岸政彦さんの「断片的なものの社会学」。稲垣足穂の小説「一千一秒物語」のような後味だ。しかし本を読んでいると、ブーン、ブーンと目の前を蚊や蝿が横切る。コテージは立てつけが悪く、窓やドアの隙間から虫が入ってくるのだ。フィリピンへ来ておきながら、デング熱やジカ熱が怖いもので、車で1時間、でっかい蚊取り線香を買ってきてもらった。部屋の中に3つ、水回りに2つの計5つ、コテージの中いっぱいに煙が立ち込める状況になった。しばらくしてマネージャーがあわてて言った、「古舘さん!この蚊取り線香は5つ焚くと1日でタバコ70箱分の悪影響があるみたいです」

デトックス施設での生活も2週間半ばを過ぎるとバッドな方向に気分が振れてくるんだ、俺の大好きな村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでいてもイライラが沸き起こってくる、何なんだこの内容、7割が比喩じゃないか、そして何だこの中途半端な結末は、続編を出す気マンマンじゃないか。翌日の浣腸、宿便と呼ぶべきウンコが出る。その晩に読んだ村上春樹、最高!

日本へ帰ってきて、好きな映画を好きなだけ見る。俺は園子温の映画が好きなんだ、全作品の半分も見れていなかったけれど、初期の自主製作の映画から全部見てやろうと思って品揃えの良い六本木のツタヤへ向かったんだ、芋洗坂の下の交差点、左手にはツタヤ、右手にはでっかいテレビ朝日。DVDを借りようと2階へ向かうエスカレーターに乗るも気持ちは後方テレビ朝日へ。エスカレーターを降りると目の前には華やかな香りを放つポプリが。色鮮やかな花びら、フィリピンの日々に思いを馳せる。ポプリを手にレジへ向かう、「ポプリをください」パワポも知らないのによく言えたもんだよ、

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記憶があいまいな部分とオフレコにすべき内容、そして古舘氏の語りでないと雄弁に表現できないものを除いた内容、その一部である。

19:10の開演から21:10の終演までの2時間、テーブル上の水が注がれたグラスには目も暮れず、しゃべり倒した古舘伊知郎のトークライブ、本人が立て板に水と表現したように、圧巻としか言いようがなかった。
そして、本トークライブの本来の目的である、テレビ・ラジオ関係者へのアピールの要は、「今日のこのトークライブのように自由に話せる場を俺に用意してくれ」ということに他ならないと感じた。
生きた喋りを活かすことを第一に考えれば、録画・録音よりも生放送の番組が相応しいのだろう。
放送コードも踏まえると、テレビよりもラジオの方が良いのだろうか、もしもLINE LIVEやAbemaTVに抜擢されたとしたら、メディアの潮流を変えかねない1つの事件になり得るのではないか、なんて勝手に考えてしまうが、とにかく報道ステーションの任を終えた古舘伊知郎の今後の活躍が期待として大きく膨らむ一夜だった。

5/21 渋谷

アップルストアの道路挟んで反対側、地下の駐車場へ続くスロープの先にあるドア。その向こうのライブスペースにて開催された、butaji「EYES」ミュージックビデオ上映会へ。土曜日の真っ昼間、喧騒の街に対して、穏やかな落ち着く空間の会場だった。

上映用の機械の調子が悪いので、と初めにbutajiのライブが行われた。アコースティックギター1本と、ボーカルのエフェクト用と思われるカオスパッドのシンプルな編成だった。「ウィークエンド」から始まったライブはアルバム「アウトサイド」からの曲が多く披露された。アルバムでは色鮮やかなアレンジが施された曲が、ギターとボーカルだけで演奏されたとき、楽曲の核心がグッと立ち上がってくる印象と、何よりもボーカルの素晴らしい歌声に魅了された。ライブの中盤には新曲「花」「秘匿」も披露された。今までのbutajiの楽曲の歌詞の世界を、線を引いて境界を分けたとしたら、新曲の歌詞で表現される世界はこれまでの世界の境界線より内側へ入り込むような、立ち入ったような、そんな印象を受けた。「茜空の彼方」という未発表曲も新曲だったのだろうか。この曲を聴いたとき、小学生の頃に住んでいた街、閑静な昔ながらの住宅街の東西に伸びる通学路、その通学路を歩いていた少年時代と、10年振りにその通学路を歩いた3年前の思い出がふと脳裏に甦った。宇多田ヒカル「サングラス」のカバーも披露された。「EYES」「東京タワーとスカイツリー」が演奏され、butajiのライブ演奏は幕を閉じた。

小休憩の後、プロジェクターで「EYES」ミュージックビデオの上映。上映後、butajiと本MVの監督、五十嵐耕平氏が登壇。トークショーが行われた。本MVの製作に至った経緯や青森で行われたドローンによるMVの撮影の様子など、終始和やかなムードで行われた。トークショー終盤の質問コーナーで、「EYES(アイズ)というタイトルは福島県会津(あいづ)地方と掛かっているのでは?」という質問が一瞬思い付いたが、ただの駄洒落じゃないか、と躊躇してしまった。

ついつい会津地方についてスマートフォンで検索しながらの帰路となった。色々調べた結果として、会津地方は東北でも随一の自然豊かな地域であると知り、是非行ってみたいという気持ちが強く沸いた。8月に猪苗代湖畔にて開催が予定されているオハラ☆ブレイクに併せて、訪れたいと思う。

 

 

 

4/30 宮城県川崎町

桜前線が通り過ぎ、本格的な春の到来を告げる宮城県。そんな宮城県ひいては東北の春の風物詩と呼べるライブイベントが、アラバキロックフェスティバルである。蔵王連峰を望む位置にある川崎町。自然豊かな国営公園内のキャンプ場が会場となっている。

今年の総入場者数は過去最高の52000人だったそうだ。チケットも今年は2日通し券が一般発売の初日に完売するなど、人気・集客共に年を重ねる毎に高まっている印象がある。一般に言われるロックフェスブームのような一過性のものとは異なる、今年で開催16年目を迎えるアラバキが16年の間に積み上げてきた歴史と、年を追う毎に少しずつ規模が大きくなっても変わらない魅力こそが、東北随一のロックフェスティバルと呼ばれる所以であると感じる。

11:00
会場のメインゲートからほど近いARAHABAKIステージにて、クリープハイプ。ワンマン公演に比べると短い40分という時間に新旧のヒット曲を惜しげもなく詰め込むセットリスト。下北沢のライブハウスの天井を取っ払ってそのまま持ってきたかのような盛り上がり。MCは決して多くなかったが、彼らが初めてアラバキに出演した2012年も同じARAHABAKIステージで演奏を行ったことに触れ、また新曲を増やしてここに帰ってきます、と観客に告げた。

12:30
「借金の過払い金の相談はー?」という前代未聞のコール&レスポンスで幕を開けた、BAN-ETSUステージ、清水ミチコ。(正解は10、20、30!だった。)「他のステージに豪華なアーティストが出ているのに、清水ミチコを見に来た皆さん、大きな賭けだったと思います。しかし、皆さんは賭けに勝ちましたよ!他のアーティストは1種類の声しか出せませんが、私清水ミチコ、3人4人は当たり前、10種類・20種類以上の声を出すことが出来ます!」広大なステージの真ん中に1つ置かれたキーボードを演奏しながら繰り広げられるモノマネメドレー。芸と呼ぶには見事すぎるステージは観客の爆笑に包まれた。

14:30
バンド編成での出演の真心ブラザーズ、ARAHABAKIステージ。YO-KING桜井秀俊(革ジャン&白パン)に加え、ベース:岡部晴彦、ドラム:サンコンJr.(ウルフルズ)の4人編成。25年を越えるキャリア、ベテランのステージングだった。披露された曲の多くが20年近く前にリリースされた曲だったが、20代に書いた曲を40代になったいま演奏しても決してウソにならない説得力と、20年経っても風化しない曲の強度。それこそが真心ブラザーズを現在の立ち位置に押し上げている大きな理由であると感じた。

15:20
総勢7名のバンド編成での出演のくるり、BAN-ETSUステージ。翌月から開催される「アンテナ」期の曲を中心に演奏するツアー「Now and then Vol.3」を見据えたセットリストのライブとなった。1曲目、会場の空気を確かめるように演奏された「さよなら春の日」に続き、2曲目は「地下鉄」。2曲とも原曲でドラムを担当したクリフ・アーモンド本人による演奏・ドラミングは圧巻であった。アンテナより「Morning Paper」「ロックンロール」の2曲の後に披露されたのは、ライブ初演奏の新曲「琥珀色の街 上海蟹の朝」。曲のイントロで岸田はギターを置き、カップに注がれたビールを煽る。岸田がハンドマイクで歌うのは「ワールズエンド・スーパーノヴァ」振りだろうか。R&Bやソウルへの接近を見せた重たいビートの曲は、くるりにとって新機軸を打ち出す楽曲だった。

16:10
東北6県を模した6つのメインステージとは別の小さなステージ、東北ライブハウス大作戦ステージで弾き語りライブを行ったのは、山内総一郎(フジファブリック)。他のステージに比べステージの高さが低いものの、観客は全員座り、ステージ前に柵もない近い距離感のアットホームな雰囲気のライブとなった。フジファブリックというバンドは往々にしてVo.Gt.志村の生前の頃の活動・楽曲が語られがちであるが、残された3人はフジファブリックとしての活動を止めなかった。その結果がソングライティングとして実を結んだアルバムが「LIFE」であると感じている。「ブルー」「桜の季節」「PRAYER(新曲)」「LIFE」「虹」と新旧5曲が織り交ぜて披露された。

17:55
開演時間ぎりぎりにHANAGASAステージに到着すると、大勢の観客はステージを覆うテントに収まりきらず、ステージ近くの通路にまで溢れ出していた。何とかステージ内に入り込むもステージには誰もいない。観客もステージではなく客席後方を向いている。その視線の先にいたのはゴンドラに乗った水曜日のカンパネラ、コムアイの姿だった。昨今の水曜日のカンパネラのテレビへの露出を考えればこの集客には納得であったが、一番に驚かされたのが楽曲のトラックの格好良さだった。広い括りで言えばベースミュージックと呼ばれるものであり、このような楽曲が邦楽ロックフェスで大いに盛り上がるほどの現象となっていることは非常に痛快であると感じた。新曲として披露されたメジャーデビューアルバムのリード曲「チュパカブラ」もゴリゴリのテクノで攻める素晴らしい楽曲だった。

18:40
水曜日のカンパネラのライブの終了後、BAN-ETSUステージへ移動し、ウルフルズのライブを途中から鑑賞。日は完全に暮れて、客席前方からは熱気が白く立ち上っている。幼心に聴いていた「ガッツだぜ!」を生で改めて聴く。ファンクに寄ったとても変な曲だと思った。変な曲だけれど、演奏も正直言ってめちゃくちゃ上手い訳ではないけれど、格好いいと思ってしまうのは、何よりウルフルズというバンドがロックバンドだからである、と感じた。

19:30
アラバキの出囃子(ジングル)が鳴り止むのを待たず、峯田はステージへ姿を現した。ARAHABAKIステージは唯一ステージに花道が設置されている。アコースティックギターを左手に持ち、右手でマイクスタンドを引きずりながら峯田が花道の先へ出てくる。アコースティックギターを肩に掛け、マイクの高さを調節した後、弾き語りで「人間」が歌われる。客の多くも合わせて歌う。峯田は時折客席へマイクを向ける。峯田が弾き語りを行う中、静かに3人のサポートメンバーがステージへ上る。ギター:山本幹宗(ex-The Cigavettes)、ベース:藤原寛(AL)、ドラム:後藤大樹(AL)。弾き語りのまま「人間」を終えると、バンドで「まだ見ぬ明日に」「大人全滅」が演奏される。苦しそうな表情で必死に演奏するサポートメンバーを見て、圧倒された。GOING STEADY時代の2曲を終えた後、「今日は久しぶりにこの曲をここで歌いたいと思います。聴いて下さい」ギターのフィードバック、ハイハットの4カウント。「夢で逢えたら」。音楽が爆発した瞬間だった。スピーカーから大きな音で鳴らされた音楽に、夜空の果てまで持っていかれそうな高揚感と幸福感だった。「このままずっと永遠にこの時間が続けばいい」と「BABY BABY」が演奏される。また、「光のなかに立っていてね」より「愛してるってゆってよね」「ぽあだむ(new mix)」が披露され、ライブ本編は終了した。アンコール、上着を脱ぎ上半身裸となった峯田は再びアコースティックギターを片手に花道の先へ出てきた。2011年のスメルズ・ライク・ア・ヴァージンツアーのオフの日、被災地での遺品整理ボランティアのエピソードが語られた。「だからこの曲をずっとやらなきゃいけない」と弾き語りで披露された「新訳 銀河鉄道の夜」。演奏を終え、峯田がステージから捌けた後も、観客からの拍手は暫く止むことは無かった。

3/10 恵比寿

駅の東口を出て、明治通りを左に曲がり、リキッドルームへ。取り置きのチケットを引き換えに2Fへ上がるとなかなかの混雑。チケットの列とグッズの列が交差して、隙間を縫うように移動する人々。引き換えを終え、時間も差し迫っていたので駆け足で1Fの入場口へ。バーカウンター、缶のジーマをもらう。ホールへ顔を向けると丁度フロアが暗転。20:00、オンタイムの開演だった。飛び込むようにフロアの中へ。閉じられたステージの緞帳に煽りVTRが上映される。47都道府県を巡るジャパンツアー。今日はその千秋楽だ。日本各地を巡っていく中で記録された映像・写真が緞帳に映し出される。

 
東京で1番かっこいいバンドを自称する彼らにとって、東京を飛び出して2ヶ月のライブツアーに出ることは大きな試練だっただろう。そんな試練を乗り越えた彼らがついに東京に帰ってくる。思いを巡らせて煽りVTRに見入る。飲み終えたジーマの缶を潰してズボンの右後ろのポケットにしまう。いよいよステージの幕が開く。
 
かっこいいバンドとは何なのか。その答えがあるライブだった。それは、観客をたまらなく夢中にさせる良いライブをするバンドである。ベース、ドラム、ギター、キーボード、ボーカルの総てに魂が乗っかってくる演奏。足を、腕を、身体全体を揺らすリズム。心の奥を突き動かすメロディ。それらは間違いなく2ヶ月の試練によって磨き上げられた賜物だった。
 
本当に東京で1番かっこいいバンドになって帰ってきたどついたるねんの格好良さに心の底から夢中になった夜だった。
 

 

2/22 「愛地獄」感想

ポレポレ東中野での先行上映にて鑑賞。

銀杏BOYZライブ映像作品「愛地獄」本作品は3つのライブ公演を主に構成されている。
2008年、北海道石狩市、ライジングサンロックフェス。
2011年、岩手県盛岡市、スメルズライクアヴァージンツアー。
2015年、福島県いわき市、ギフト2015。
いずれも銀杏BOYZの活動拠点である東京よりも北の地、東北・北海道でのライブ映像である。本作品に収められたライブ中のMCにおいて、そんな彼らと東北との縁が改めて語られている。

高校卒業・大学入学を機に、都会の絵の具に染まりたい思いを胸に故郷の東北は山形を足蹴に上京した峯田であったが、都会の日々に馴染めず、高校の同級生だった村井と山形出身という縁の安孫子をバンドに迎え、GOING STEADYとしてブレイク。銀杏BOYZとなった後も、彼ら2人はメンバーとして活動を続けた。

2015年、いわきで行われた銀杏BOYZのステージに立っていたのはアコースティックギターを抱えた峯田ただ1人であった。2014年に発売された9年ぶりのアルバム「光のなかに立っていてね」が完成・発売に至る過程において、中村・安孫子・村井の3人は銀杏BOYZを脱退した。

それほどにステージの高くない、小さなライブハウスでたった1人アコギを弾き歌う峯田和伸は1人の男、1人の丸腰の人間であった。その心細くも生々しく、観客の野次に鼓舞され歌う姿はがらんとしたステージから発せられる音楽だった。

ライジングサンロックフェス、スメルズライクアヴァージンツアーでは、アルバムの完成を目指しバンドとして活動していた銀杏BOYZが記録されている。GOING STEADYの頃から数えれば、村井・安孫子との付き合いは15年以上に渡る。そんな彼らとの別れの思いは、故郷との別れに重ねて(時として故郷に戻ってきてしまう未練とともに)写し出されているように感じた。

2/1 「圏外編集者」感想

都築響一さんの「圏外編集者」を購入。一気に読み終える。編集者とは何者なのか、この本を読む前に自分なりに練り固められていたイメージとこの本に書かれていた正解はそう違わない印象を持った。それは、(取材対象となる)モノについて、自分が面白いと思える視点・切り口から取り上げ、無駄なく必要十分な形で受け手に提供する人、のことである。都築さんは出版側の編集者なので、雑誌や書籍で例示されていたけれど、テレビ番組にも大いに通じる点があると思った。ドキュメント72時間だったり水曜日のダウンタウン、人生のパイセンTV、家ついて行ってイイですか?などのドキュメンタリー/ドキュメント系バラエティ番組が今日の好評を受けている理由は、その番組によって得られる情報がGoogleに載っていない/Googleの検索窓に打ち込まれない情報であり、多くの視聴者の生活圏には関わらないものの確かに存在する日常のような、インターネット全盛の現代においても視聴者にとって知られざる情報を無駄なく、番組らしさの出るテンポで提供しているからであると改めて思った。編集者として1番に求められるものはどのような視点・切り口から取り上げるかというセンスであると思う。しかしそのセンスを磨くためには成功も失敗も含めて数多くの幅広い経験を積むことが重要であるし、失敗が重なったとしても成功を目指して前へ進む情熱が求められるのだろうと思う。